2011年12月21日水曜日

ワタル先生を囲む会

最後の授業が終わり、Semester1の生徒たちが僕の送別会を開いてくれた。

夕方、学校のそばにある酒場へ向かった。その名もトゥンバ・セレナ。
セレナは世界的規模の高級ホテルチェーンであるが、ここは掘っ立て小屋に近い。もちろんギャグだが、誰が命名したのかは不明。

生徒にビールとジュースを振る舞い、彼らと語らった。ルワンダの風習では金を持っている人がほかのひとをもてなすもの。だから自分の送別会では自分がお金を出すのだ。

ちなみにアルコールを飲む生徒は半分ぐらい。飲めないわけではないが、抵抗があるようだ。アルコールというものは不浄なものという感じだろうか、がんと拒む。

送別会では、僕を囲み生徒が一人ひとり演説をする。なんとも気恥ずかしい。最高の先生だったよ~と、お世辞でもうれしいのが人情。だんだん彼らと別れるのが寂しくなり少し泣きそうになる。


思い返せば、2年目の授業は彼らと格闘し、助けられた年だった。アナログ回路、IP電話、プログラミングの3つの授業を受けもち、そして期末テストやレポート採点。 さらに一緒に折り紙を作ったり、「千と千尋の神隠し」を鑑賞したりもした。みんなは、こんな変わり者のムズング教師のことを少しは認めてくれたかな。


さすがに延々30人も謝辞が続くと、涙も引っ込み、疲れてしまう。最後に僕がどんな言葉を言ったかあまり覚えていないが、涙が出そうだよと、ちょっと嘘を言ってしまったかも。

だがこれだけは覚えている。
「お前らのことは一生忘れない。」

2011年11月23日水曜日

キガリに日本食レストラン登場

半年ほど前に、キガリのギシューシュ地区に日本食レストランができた。
なかなか評判もいいし、同期と行ってきた。

店内は広く綺麗で、ルワンダ人(ケニア人?)の板前も。

寿司やうどん、鉄板焼きなど注文。どれもそこそこうまい。

経営者は日本人ではなく、韓国人。なので、メニューにビビンバもあり。

たまたまその韓国人もいたので話を聞いた。もともとケニアでレストランを経営していたらしく、ケニアは日本食レストランが8件ほどあるらしい。すでに過当競争なので、ルワンダに店を構えたそうな。しかしケニアの日本食レストランも、大きい店はほとんど韓国人経営らしく、日本人経営の店はもともと小さいためつぶれてしまったそう。実に商魂たくましい韓国人でした。



ところで「鉄板焼き」というメニューは外国でよくみかけるけど、日本でそんなにメジャーだったかしら。外国ではカウンターの前に立った料理人がお客の目の前でパフォーマンスをしながらジュージュー肉を焼くイメージだけど、日本ではせいぜい広島のお好み焼きぐらいしか浮かばない。

2011年11月16日水曜日

ウガンダ、カンパラ

カンパラはウガンダの首都だ。

しかし、ルワンダの隣国とはいえ、キガリよりも数倍大きく、物も豊富だ。ビルも多く、大型スーパーのナクマットには、なんとエスカレータが!これには驚いた。うらやましい。

街中には、中華料理店だけでなく、韓国料理店や日本人が経営する家庭料理の店まで。

しかし、大きいビルはたくさんあっても、渋滞がひどく、さらに道が塗装されていないところが多々ある。ぬかるみがひどく、タクシーが進めない。さらに道端はゴミだらけ。キガリは綺麗だったなあ。

バスが停車すると、バナナ売りや串焼き売りが寄ってきてみんなが買う。食べたバナナの皮は、窓からぽい。みんな気にせず、ぽい、ぽい、ぽい。ついに誰かが投げた皮が通行人の頭に命中。 怒っていたけど、みんな気にせず、続けてぽい。

街中には、ムセベニ大統領の広告があちこちに。カウボーイみたいな帽子がトレードマークのおじさん。25年も大統領やってます。ちなみに前々回の大統領は、あのアミン大統領。人食いアミンで有名なあの人。当時は大変だったろうけど、今はすっかり平穏な街のカンパラ。

ピグミー族

ピグミー族をご存知でしょうか?
世界でもっとも平均身長の低い種族の人たち。主に狩猟生活を行い、多くが中央アフリカに住んでいる。

彼らの集落を訪ねてみた。かなり山深いところにある。近くの村でバスを降り、集落を案内してくれる人に連れてきてもらった。別の民族の集落の一角に彼らは住んでいます。泥でできた家や茅葺だけの家の中から人々がでてきました。たしかに大人でも150cm以下。酋長(キングと呼ばれていた)は140cmもない感じ。 僕を見ると、客人として迎えてくれ、キングの横に座らされました。と、挨拶をする間もなく楽器を売りつけてきたのに、少し驚き。いろいろ家を案内してくれけっこうきさくな人たち。

写真もどんどん撮れとうながしてくる。

集落で育てている大麻の葉を見せてくれた。病気の治療や儀式に用いるという。
子どもたちは半分が服を着ていない。つまりフルチンだ。おなかがポコンと飛び出て、みんなすごいデベソ。そして彼らのペニスに割礼を行った形跡が残っていた。まだ習慣があるようだ。

しかし、村人全体に漂う、無気力と無関心。この重苦しい感じはなんだろう。

狩猟民族とはいえ、周りの森はどこも保護区になっており、狩はできない。ほそぼそと食料を植えて、池で魚をとって暮らしている。体は小さいが、筋肉はたくましく、木陰から弓を引く姿が見えてきそうな彼らに、農耕生活は合わないだろう。さらに、政府や他の農耕民族からの迫害が行われた歴史もある。大人の男が、昼間から酒を飲んでいる姿が多々見られた。

ここは地元のNGOが生活をサポートしている。僕もNGOの案内人に1000円ほど払ったが、これが集落全体にいきわたる。しかし僕が来る前は2週間誰も 来ていない。もちろん周辺には働きに出るところもない。現在98人が暮らしているというが半数は子どもで、徐々に数は減っているという。さらにHIVの感染数も多い。これはピグミー族の女性とセックスをすると腰の病気が治るという俗信がいまだに残り、近隣の男性との無防備なセックスがHIVや各種の性病を広がらせている。病気なのだろうか、家の前のゴザで寝転がったまま起きない女性が数人いた。

生活、病気、子ども、大人、セックス、貧困。それぞれの垣根が無く、混沌として、むき出しのままさらけだしていた。ピグミン集落。


こんなことを考えていると、なんだかいたたまれなくなり、日本の踊りを見せようと、カチャーシーを踊ってみせた。すると何人かの大人と子どもたちが興味を示した。マンデラという酔っ払いのおじさんは、真似をして踊り、やたらと抱きつき、仲良しの挨拶の頭突きまでしてきた。
かばんの中からバナナチップの袋が入っていたので、みんなにあげようとすると、一気に歓声が沸く。くれくれくれー。大人も子どもも。どこにこんな元気があったのだろうかと思うくらいだ。
マンデラの制止を振り切って帰ろうと、みんなに手を振ったがほかのみんなはすでに僕に無関心だった。うーーん。

ちょっとほろ苦い、ピグミー体験。

ウガンダ、ビクトリア湖

学校の休み期間を利用してウガンダへ旅行してきた。キガリから飛行機で45分。

ウガンダはルワンダの北側と接する隣国。ルワンダの数倍大きい内陸国で、ビクトリア湖の一部を内包する。

ビクトリア湖には行ってみたいと思っていたのでエンテベ国際空港からさっそくフェリーに飛び乗ることに。

その大きさはまるで海のよう。波の立たない緑色の湖面がどこまでもひろがる。赤道の太陽に照らされた水面は強烈な光の反射をかえす。浮き枝や浮き草の上で羽を休めるアフリカ水鳥は、フェリーが近づくと重そうな体をゆすって飛び去ってゆく。

のんびり進むフェリーの中は、多くのウガンダ人がひしめきあっている。甲板でのんびりと湖を眺めているとウガンダ人が話しかけてくる。一見無愛想だけど、彼らはとても気さく。あくびをしたので脇腹をつついてやると、へへへと照れ笑い。なんかルワンダ人みたい。



でも顔つき体格がルワンダ人と全く違う。ずんぐりむっくりの大柄の体型で、鼻が平べったい。話す言葉は、バントゥー語系のルガンダ語なのでルワンダ語になんとなく似ている。

ビクトリア湖はナイル川の源流といわれている。ここからエジプトまで流れてくのを想像すると気が遠くなるほどの道のりをたどるのだなあと水に感心。ちなみにこのビクトリア湖、泳がないほうがいい。住血吸虫にやられる危険性があるのです。感染すると血管に住み着くおそろしい虫。こわい。


これ、記念すべき海外10カ国目。
学生のときタイを一人旅して以来、インド、中国、アメリカ、メキシコなどを巡り歩いてきました。一回の旅で一カ国が基本なので意外と少ないかも。協力隊になってから、ルワンダ、ケニア、フランス、モロッコと旅行してきました。ちょっと達成感。

2011年11月13日日曜日

東アフリカの飢饉

東アフリカにあるアフリカの角と呼ばれる地域で、過去60年間で最悪の干ばつが起きています。

特に被害が大きいのがソマリアです。ソマリアは前政権の崩壊以降、事実上の無政府状態が続いています。さらに最近ではアルカイダ系の組織がケニアと交戦を行っており非常に不安定な地域でもあります。

JICAのHPで飢饉の様子が伝えられているので興味のある方は是非。
http://nantokashinakya.jp/projects/africa/

2011年10月28日金曜日

大新聞社の世論誘導

僕の敬愛する作家が原発報道をするマスコミに対して苦言を呈していた。僕もまったく同じ気持ちを抱いており、やはり書かなくてはと思った。


まずは、以下の二つの新聞社の記事を読んでもらいたい。
http://www.asahi.com/national/update/0919/TKY201109190278.html
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110919-OYT1T00532.htm

どちらも先月、新宿で行われた「さよなら脱原発」集会の様子を伝えたものだ。この扱い方の差は歴然としている。


一つ目の新聞社はやや脱原発寄りの意見をもち、二つ目の新聞社は昔から原発推進の意見で有名だ。僕は、新聞社にそれぞれの意見・主張があるのは当然だと思う。だがそれは、社説で展開するべきだ。


しかし一般ニュースは事件を客観的に扱う場であるべきだ。ノーベル賞作家と6万人もの人が新宿でデモ行進を行ったという事件が、わずか十行の文章と一枚の写真で終わるものではない。この新聞を購読している読者がこの短い記事を見れば、読み飛ばしてしまうか、たいした出来事ではなかったのだなと考えてしまう。


これは明らかに、世論誘導だ。


読者は、事件に対して、記事を読み、自ら判断して、自分の意見を作るのに、記事自体を見えなくしては、考えることもできない。


これはどの新聞社にも同じことが言えるだろう。自分の意見と食い違う運動があれば、それを矮小化して伝える。当然、その逆もしかりだ。
僕は高校生のころから新聞を読むのが好きだった。 政治家とは距離を置いた、厳格な客観性を信用してきたからだ。だが、今回の原発事故で大新聞社の卑劣さがよく分かった。残念ながら、若干遅すぎた気もするが。

2011年10月26日水曜日

タイヤころがし

昔の日本なら男の子の遊びといえばメンコ、ベーゴマ、相撲ってところでしょうか。

アフリカの男の子の遊びといえば、やはりこれ!タイヤころがし。
捨ててある自転車や荷車のタイヤやホイールを、木の枝で転がすもの。

テレビや写真でも見たことがある人も多いのでは。


でも、これ単純そうで難しい。舗装された道なんか無いので、ボコボコの悪路を手先で器用に操りながら進むのです。しかも駆け足で。学校に登校しながら、ころころ転がしてます。

僕もやってみたけど、まったく転がせない。右へ左へと行ってしまいます。

将来タイヤころがし世界大会が開かれたら結構おもしろいかも。

2011年10月24日月曜日

伝統的結婚式

受付の女の子
ルワンダの伝統的結婚式である交渉式(Negotiation Ceremony)なるものにも出席しました。こちらは先月に行われた同僚のムペンジくんの結婚式です。

ルワンダでは伝統的に、新郎が新婦の家族に牛を渡す習慣があります。

緊張の面持ちの新婦側
まず新婦の実家の前に大きいテントが張られ、右に新郎側、左に新婦側の親族や友人が座ります。10メートルぐらいの距離を置いて、前列に年配の親族が向かい合って座ります。

新郎の家族の年長者がいかに新郎は新婦にふさわしいかを訴え、それに対して新婦側の年長者もいろいろ疑問を返すのです。そして新婦側の親族に認められると、新郎の家族は結納金として牛を渡します。新婦側が牛の質をいろいろ見定め納得したら、初めて結婚が認められるのです。
詩を歌う羊飼い

新婦側は牛のお礼に、「羊飼い」を呼び、いかにこの牛が素晴らしかったかを詩の形にして歌わせます。新郎側も「羊飼い」を出し、そのお礼をします。

踊り子とともに新婦が登場
ついに、それまで家の中にいた新婦が初めてみんなの前に出てきます。新郎のもとへ歩み寄り、中央の席に一緒に座って、晴れて二人は夫婦として認められます。めでたしめでたし。
二人は晴れて夫婦に


交渉を聞いていると、真剣なようでジョークを交えて話すので、みんなにこやかです。さらに歌やダンスも混じり、一種のエンターテイメント。また現在では、実際に牛をもらっても農家以外は困るので、牛の代わりにお金を渡す場合が多いようです。

このセレモニー、あまりお目にかかれないのでラッキーでした。 やはり牛とルワンダは切っても切れないもの。一家にとって重要な財産なのです。

2011年10月23日日曜日

結婚式


同僚エマニュエルくんの結婚式へ出席した。

今回は教会での結婚式と、披露宴。

教会で奥さんの洗礼式も一緒に行われた。新婦は水がめから汲んだ水を頭から掛けられていた。案の定ウェディングドレスがびしょびしょに。やりすぎでしょ。


披露宴。だれでも入場可能。
式は神父の話から始まり、誓いの言葉、指輪の交換という基本的なもの。

そのあとは披露宴会場に行って、パーティー。世界共通ですな。でも、関係無い人も勝手に会場に入ってジュース飲んでます。問題ないみたい。めでたい席にはたくさんの人に来てもらいたいみたいで、多いときは1000人ぐらいになるとか。



洗礼式。ドレスがびしょびしょに。