昨日までルワンダ北部の都市、ビュンバに行ってきた。
トゥンバから西へ山道を越えることおよそ3時間。乗車率200%かつジェットコースターのような車中で、親切に席を譲ってくれた学生がビュンバにある難民キャンプに住んでいるという。僕は興味をそそられ翌日彼の住むところまで行ってみた。
|
Gihembe難民キャンプ |
ビュンバはルワンダ第六位の都市で、それなりに栄えている。難民キャンプは谷を挟んだ向かいの山に白くきらきら光る建物が無数に広がっているところだ。徒歩で30分ほどで着く。
一歩難民キャンプに足を踏み入れるとよれよれの服と鼻水をたらした子供たちがムズングー!と駆け寄ってきた。泥土で作られた家々は密集し、屋根はUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)のビニールシートがかけられ、雨をしのいでいる。狭いわりにやたらと人の数が多く、むき出しの道の上で大人は立ち話、子供たちはペットボトルやヤギをおもちゃに遊んでいる。
|
自家製ビールを売る家 |
このキャンプは1997年の隣国コンゴでの紛争を逃れてきた人々が住み着いたところだ。およそ14年が経ち、多くの子供がこのキャンプで生まれている。ルワンダと接する東部コンゴは内戦が激しく、政府のコントロールも及ばない地域だ。彼らもいったいいつ帰れるのか全くわからない。国籍もコンゴのままだという。
キャンプ内には学校や教会、病院もある。小さいが売店もある。食事は月に一回配られる国連からの食料で生活している。
だが難民の大多数は職が無い。せいぜい荷物を運ぶ荷役夫ぐらいで日当は400Frw(55円)。それだけでは暮らせないので、国連からもらった食料を貯め、近くの市場で売って現金を得ているという。
|
シャロームと母親 |
案内してくれた高校生のシャロームは、ルワンダ北西部の都市ギセニで勉強している。彼によると、高校を卒業したぐらいでは、難民キャンプの生活から逃れることは難しいという。大学以上を出ないとキガリなどでは働くことができないという。おそらく難民キャンプ出身で国籍もコンゴということも就職先を狭める要因になるのだろう。さらに以前はキリスト教系のNGOが教育費用を援助していたそうだが、今では撤退してしまったそうだ。
シャロームの友人のエリックの家にも行った。彼は両親が内戦で死んでしまい一人暮らし。粗末な泥の家だが、とても喜んで僕を部屋に招きいれてくれた。 彼は部屋の奥から小さいアルバムを取り出し僕に見せてくれた。彼はルワンダダンスが得意らしく、衣装を身に着け大勢の前で踊っている写真が印象的だった。
だが僕には、君は将来何になりたい、なんてことは絶対に聞けない。彼のアルバムを真剣に、できる限りの誠意を持って見ることだけが、そのとき僕にできた唯一のことだった。
|
人気歌手の絵を書いて遊ぶ |
ここでも子供たちは元気だった。本当に明るく、屈託が無い。都市の子供たちとは全く違う。歩くとすぐに20人ぐらいの子供たちが寄ってきて、僕の後ろに行列を作る。僕のかばんのアクセサリーが気になるようで、すぐ触ってくる。追い払うためガオーっと威嚇すると蜘蛛の子を散らすように逃げるのがとても楽しい。子供たちもうれしそう。たまに本気で追いかけ子供を捕まえると、顔をくしゃくしゃにして泣き出す。だけど周りの大人も子供も大笑い。僕もこんなに楽しいことは久しく無かったなあ。
帰るとき、ほんとうに名残惜しそうに見送ってくれた。かけがえの無い友人達に、また出会えたようだ。