2011年10月28日金曜日

大新聞社の世論誘導

僕の敬愛する作家が原発報道をするマスコミに対して苦言を呈していた。僕もまったく同じ気持ちを抱いており、やはり書かなくてはと思った。


まずは、以下の二つの新聞社の記事を読んでもらいたい。
http://www.asahi.com/national/update/0919/TKY201109190278.html
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110919-OYT1T00532.htm

どちらも先月、新宿で行われた「さよなら脱原発」集会の様子を伝えたものだ。この扱い方の差は歴然としている。


一つ目の新聞社はやや脱原発寄りの意見をもち、二つ目の新聞社は昔から原発推進の意見で有名だ。僕は、新聞社にそれぞれの意見・主張があるのは当然だと思う。だがそれは、社説で展開するべきだ。


しかし一般ニュースは事件を客観的に扱う場であるべきだ。ノーベル賞作家と6万人もの人が新宿でデモ行進を行ったという事件が、わずか十行の文章と一枚の写真で終わるものではない。この新聞を購読している読者がこの短い記事を見れば、読み飛ばしてしまうか、たいした出来事ではなかったのだなと考えてしまう。


これは明らかに、世論誘導だ。


読者は、事件に対して、記事を読み、自ら判断して、自分の意見を作るのに、記事自体を見えなくしては、考えることもできない。


これはどの新聞社にも同じことが言えるだろう。自分の意見と食い違う運動があれば、それを矮小化して伝える。当然、その逆もしかりだ。
僕は高校生のころから新聞を読むのが好きだった。 政治家とは距離を置いた、厳格な客観性を信用してきたからだ。だが、今回の原発事故で大新聞社の卑劣さがよく分かった。残念ながら、若干遅すぎた気もするが。

2011年10月26日水曜日

タイヤころがし

昔の日本なら男の子の遊びといえばメンコ、ベーゴマ、相撲ってところでしょうか。

アフリカの男の子の遊びといえば、やはりこれ!タイヤころがし。
捨ててある自転車や荷車のタイヤやホイールを、木の枝で転がすもの。

テレビや写真でも見たことがある人も多いのでは。


でも、これ単純そうで難しい。舗装された道なんか無いので、ボコボコの悪路を手先で器用に操りながら進むのです。しかも駆け足で。学校に登校しながら、ころころ転がしてます。

僕もやってみたけど、まったく転がせない。右へ左へと行ってしまいます。

将来タイヤころがし世界大会が開かれたら結構おもしろいかも。

2011年10月24日月曜日

伝統的結婚式

受付の女の子
ルワンダの伝統的結婚式である交渉式(Negotiation Ceremony)なるものにも出席しました。こちらは先月に行われた同僚のムペンジくんの結婚式です。

ルワンダでは伝統的に、新郎が新婦の家族に牛を渡す習慣があります。

緊張の面持ちの新婦側
まず新婦の実家の前に大きいテントが張られ、右に新郎側、左に新婦側の親族や友人が座ります。10メートルぐらいの距離を置いて、前列に年配の親族が向かい合って座ります。

新郎の家族の年長者がいかに新郎は新婦にふさわしいかを訴え、それに対して新婦側の年長者もいろいろ疑問を返すのです。そして新婦側の親族に認められると、新郎の家族は結納金として牛を渡します。新婦側が牛の質をいろいろ見定め納得したら、初めて結婚が認められるのです。
詩を歌う羊飼い

新婦側は牛のお礼に、「羊飼い」を呼び、いかにこの牛が素晴らしかったかを詩の形にして歌わせます。新郎側も「羊飼い」を出し、そのお礼をします。

踊り子とともに新婦が登場
ついに、それまで家の中にいた新婦が初めてみんなの前に出てきます。新郎のもとへ歩み寄り、中央の席に一緒に座って、晴れて二人は夫婦として認められます。めでたしめでたし。
二人は晴れて夫婦に


交渉を聞いていると、真剣なようでジョークを交えて話すので、みんなにこやかです。さらに歌やダンスも混じり、一種のエンターテイメント。また現在では、実際に牛をもらっても農家以外は困るので、牛の代わりにお金を渡す場合が多いようです。

このセレモニー、あまりお目にかかれないのでラッキーでした。 やはり牛とルワンダは切っても切れないもの。一家にとって重要な財産なのです。

2011年10月23日日曜日

結婚式


同僚エマニュエルくんの結婚式へ出席した。

今回は教会での結婚式と、披露宴。

教会で奥さんの洗礼式も一緒に行われた。新婦は水がめから汲んだ水を頭から掛けられていた。案の定ウェディングドレスがびしょびしょに。やりすぎでしょ。


披露宴。だれでも入場可能。
式は神父の話から始まり、誓いの言葉、指輪の交換という基本的なもの。

そのあとは披露宴会場に行って、パーティー。世界共通ですな。でも、関係無い人も勝手に会場に入ってジュース飲んでます。問題ないみたい。めでたい席にはたくさんの人に来てもらいたいみたいで、多いときは1000人ぐらいになるとか。



洗礼式。ドレスがびしょびしょに。

2011年10月21日金曜日

カダフィの死

カダフィが殺害された。

この10年で、欧米諸国の関与によって殺害されたリーダーは、イラクのフセイン、アルカイダのオサマビンラディン、そしてリビアのカダフィ。

3人とも無差別に人々を殺害してきた、だから殺されて当然という理屈だ。

今回の出来事に、同じアフリカのウガンダの新聞では「カダフィ体制の崩壊に、沈黙をもって応える」とでている。僕はこれがアフリカ人の心象をよくあらわしていると思う。

アフリカ人としては、決して喜ばしくもなく、かといってカダフィに対して喪に服するわけでもない。納得いかないし、釈然としない。

アフリカ人の問題はアフリカ人で解決するのだという気持ちが彼らには強い。他国へ介入を繰り返す欧米への不信感がどんどんつのっているのではなかろうか。

2011年10月19日水曜日

アメリカと中国どっちが好き?

昼ごはんのとき、TCT(トゥンバ高等技術専門学校)の先生や職員に聞いてみたら、みんな「中国が好き」と答えていた。

ちょっと意外。


灌漑用水路を整備するルワンダ人。中国人が指導している。
アメリカは援助の見返りにアフリカの内政に干渉してくるけど、中国は純粋にビジネスとしてアフリカに投資しているからというのが理由。


現在、中国は石油や天然資源の確保のため、アフリカの多くの国で道路整備やビルや役所の建設を行っている。ルワンダの道路も多くが中国人によるものだ。それらの見返りに石油や天然資源をもらうのだ。


キガリを歩いていると、中国人と見分けがつかないため、僕ら日本人は、「シノワー(中国人)、チャンチャン!」と知らないルワンダ人から馬鹿にされます。正直、ムカつきます。たまに胸ぐらも掴みます(笑)。

その経験からルワンダ人やアフリカ人は中国人が嫌いなんだろうと思ってた。勝手に人の国に来て、資源を持っていくんじゃない!と思っていると感じていた。アメリカやヨーロッパ寄りの考えをもつ僕らから見ると、中国のアフリカ進出は脅威に移るし、紛争のもとになる武器も持ち込むので歓迎できない。ダルフールや東コンゴの紛争では中国製武器が流れてきたそうだ。


しかし、アメリカやヨーロッパも圧政開放を名目に搾取が進んでいる。むしろこちらのほうが被害がひどいかもしれない。イラクやリビアに対して行っていることは明らかに石油の搾取が目的である。リビアでは反体制派を支援しなかった中国やロシアに対して、石油利権の分配から外されているという。

残念なことに、日本の企業もすでに戦争後のイラクやリビアでの石油採掘権利を融通してもらっているそうだ。もちろん欧米側にいるからだ。企業活動や日本のエネルギーの確保の上ではやむをえないかもしれないが、恥と良心に照らせば真っ当な人間のすることではない気がする。このために何人のイラク人、リビア人が殺されたのだろう。

援助合戦、欧米対中国。少なくともアフリカ人の目からみれば、中国に軍配が上がっているようだ。

2011年10月18日火曜日

sawa sawale

いま、アフリカの音楽シーンで一番熱いのが、Flavourという歌手のnwa babyという曲。

西アフリカのナイジェリアでヒットし、現在ルワンダを含めた東アフリカ地域でも毎日流れているのがこの曲です。街を歩くと、「サワ、サワ、サワレ~」とどこからとも無く聞こえてきます。

これまでにもいろいろなアフリカ産のポップミュージックを聴いてきましたが、大半は残念なレベルだけど、これはイチオシ。日本のクラブでも十分耐えられる質だと思います。

上のはリミックス版ですが、オリジナル版もあります。こっちもなかなか。

東アフリカ地域で使われるスワヒリ語の「サワサワ」は、OK!の意味。親しみやすいフレーズだからか、みんな口ずさんでます。僕もけっこう歩きながら歌ってます。

ミュージックビデオはいかにもアメリカっぽいけど、アフリカ人もやっぱり黒人系ヒップホップが大好きなので影響が出ているのです。

ナイジェリア音楽、目が離せません。

2011年10月16日日曜日

虐殺教会の記憶

赤ん坊たちは壁に叩きつけられた。
子供のノート。日付は94年2月で終わっている。

キガリより南へ30kmほどのところにニャマタという地区があります。ここは1994年のジェノサイドがルワンダで一番初めに起こった地域であり、ツチ族とフツ族の対立がもともと激しかったところです。

ニャマタの教会では1万人以上が殺されたそうです。その多くが地域住民。老若男女が狭い教会の敷地に入り、教会ならきっと安全だろうということで身を寄せていたのです。ルワンダ人の大多数はキリスト教徒であり、以前よりおこなわれていた小規模の虐殺では、教会に逃げ込んだ人は助かっていたそうです。

だけど1994年の虐殺は種類が違いました。軍人は人々ですし詰めの教会に手榴弾を投げ込み、民兵のインテラハムウェは鉈で生き残った人々を切り裂いたそうです。生存者はわずか数人。現在、殺害された人々の着ていた服が教会の椅子に積み上げられています。

地下の展示室には数百個の頭蓋骨がならんでいました。棍棒で陥没させられた跡、鉈で切られた跡が残っています。2つの暗い眼窩の底から、鉈を振るわれる瞬間の恐怖の記憶が見えてくるようでした。案内してくれた協力隊員は、ニャマタを訪ねた日本人をこの教会に案内するのはルワンダでの自分の使命だと思う、と言ってました。

この出来事は決して風化してはいけない、遠いアフリカの出来事だと片付けられない気がします。なぜなら風化と無関心こそが為政者の暴走を許すからです。ルワンダの虐殺は政府による誘導といわれています。
 
以前も紹介しましたが、ルワンダでは毎年4月7日よりジェノサイドウィークという、国民が喪に服する期間があります。80万人の犠牲が出たこの出来事を風化させないため、学校やマスコミでも様々なイベントが行われます。同じことが起こらないように、人々は真剣に討論し、本気で涙を流しなら当時のことを振り返ります。

 日本も66年前に多大な犠牲を出した戦争がありました。しかし日本の終戦記念日は、徐々に風化しているように思います。真剣に議論する人もマスコミもあまりいません。自衛隊の強化を前提とした憲法改正運動が起こるのも、 原爆が投下された国でありながら原発が推進されたのも、日本人が大戦の記憶を忘れてしまったからではないでしょうか。600万人の犠牲を出してまで学んだことは一体何だったのか。

ルワンダから学ぶべきことが、日本には大いにあるように感じます。

2011年10月9日日曜日

一日一ドル以下の生活とは

トゥンバの道端に穴が掘ってあり、雨季になるとここに水が溜まるのです。ご覧のとおりとても汚い。

実際には歩いて3分のところに豊富に水がでる水道がきているのです。じゃあ、なぜこんなことをする必要があるのか。実はこの水道やはりタダではないのです。ポリタンク一杯40フラン(5円)。親はこのお金が払えない。

 
平均的な農民や荷担ぎの手取りは一日500フランぐらい。一ドルにも満たない。国連でいうところの最貧困層だ。


しかし、ルワンダでは多くのひとは飢えてない。写真の子供はピンピンしているし、学校にも通い、毎日サッカーをしている。親は畑で自分たちの食料を育て、中古だけど携帯電話もある。上の写真と一ドル以下の生活という言葉だけが独り歩きすると、ルワンダを見る目が偏ってしまう。


僕がルワンダに来て、気づかされたことがこれだ。自給をしている点は国連の統計には入っていない。だからトゥンバの生活はソマリアやコンゴと統計上一緒なのだ。


何を考慮にいれなければいけないのか。それは国、もしくは地域が平和かということだ。ソマリアやコンゴのように子供をさらう武装集団も、無差別のテロも無いこと。そして安定した気候。僕らにとって当たり前のことだし、今のルワンダでも当たり前のこと。安定した食料があること、安心して出歩けることだ。


だけど、ルワンダ人の生活は、安泰かというとそうではない。平和が無くなると、とたんに脆くなる。誰も守ってくれ無い。政府も機能しなくなってしまうかもしれない。トゥンバには警官もいない。貧困とはつねに死と隣りあわせであることであることも、やはり忘れてはならない。一日一ドル以下の生活とはそういうことだ。

2011年10月6日木曜日

砂漠の魅力に・・

有名なアトラス山脈を越えて、サハラ砂漠へ向かった。

途中、奥さんが酔ってしまうほどのうねうね道をバスで4時間。さらに4輪駆動車で7時間ほどでサハラ砂漠の入り口へ。さらに1時間半かけてラクダでキャンプ地へ。


生まれて初めて砂漠を見た。
広がる砂漠は、まるで荒れ狂う海がそのまま砂の形で固まったよう。

サハラ砂漠

キャンプを夜に抜け出し、ゴミひとつ見当たらない清浄な砂がどこまでも広がっている。その無限とも思える景色のなかに自分がポツリとたつ感覚に、吸い込まれそうになる。


砂に寝そべり、顔をつけてみる。
深い砂の底からひんやりと伝わってくる冷たい無機物の世界が、僕に戦慄を起こさせる。だけど動きたくなかった。そのまま朝がくるまで、そこにいてもいいと感じた。


砂漠がこんなにも僕を惹きつけるとは思わなかった。また行きたい。

2011年10月3日月曜日

モロッコ旅行

雑貨市場にて
8月に奥さんとモロッコで再会しました。今回は7ヶ月半ぶり。
うーん、長かった。今回は僕がイスラムの国へ行きたいという希望でモロッコに。



モロッコとルワンダは同じアフリカとはいえ、北アフリカと東アフリカ。人種も宗教も気候も全然違う。アラブ系の白人、イスラム教、そして暑い。さらに砂漠なので飛行機からは緑がまったく見えなかった。


僕らはちょうど断食月ラマダンのときに訪れたのだ。ラマダン中は日中は食べることも飲むこともできない。だから昼ごはんを食べに街中へ出ても旅行者さえもなにも食べられない。せいぜいミントティー。ホテルで朝食は出るので、そこでお腹いっぱいにして日暮れ(19:30ごろ)まで我慢。モロッコ人も元気ない。
カサブランカの大モスク


そしてウーという日暮れのサイレンが鳴るとモロッコ人はあっという間に通りからいなくなる。まさに人っ子ひとりいなくなる。そして30分後、お腹がふくれたのか陽気になった大勢のモロッコ人が街にくりだしお祭りのようになり、明け方までつづくのだ。このギャップが楽しい。翌朝になるとまたモロッコ人は元気が無くなる。


賑わうマラケシュのヘナ広場
この時期は旅行を勧められないと旅行会社に言われたけど、そんなことは無かった。十分楽しい。要は国の雰囲気をそのまま受け入れること。不便なことも、この国でしか味わえないことなので、それはそれで楽しかったなあ。

2011年10月2日日曜日

近所の子

空き缶で料理する子供たち
近所の子供は、よく家の敷地に(勝手に)入ってきます。そして(勝手に)いろいろと手伝ってくれます。


炭の火おこしを手伝ってくれ、皿洗いもやってくれます。もうちょっと大きい子は、金くれ、チョコくれとやかましいですが、ちいさい子たちは好きで手伝っているようです。

水をくれと言ってくる子供たち
僕が料理を作り終わったあとの炭を使って、彼らもおなかがすいたのか料理していました。これがなんともかわいらしい。小さいトマトペーストの空き缶に小さく刻んだ芋をゆでていました。ふたりで食べるのかな。

しかし、僕が料理を作っている間、鍋をじーっと見つめられるのはちょっと嫌。彼ら、ちょっと臭うし(笑)。

お久しぶりです

またもや更新をさぼって早3ヶ月以上。ごめんなさい。
別に病気や怪我もなく、ただ普通にサボってしまいました。
更新楽しみにしてくださった方、これからガンガン更新していきます!

わたる

とうもろこし

トゥンバの隣村マレンボで焼きとうもろこしが売っていた。一本100フラン(15円)。

同僚がおごってくれた。なかなかおいしい。トマトとピリピリ(トウガラシ)のソースがうまい。

しかしこの屋台、ぼろい。団扇は水を運ぶジェリ缶を切ったものだし、炭火台も錆だらけ。 電気もきていないこの貧しい村では、むしろ似合っているのか?おじさんはいい人だった。