2011年1月31日月曜日

髪、編みこんでみた

2010年12月23日、髪型を変えた。
アフリカ人のように髪を編みこんでみたのだ。
やはりアフリカへ来たからには、アフリカ人にならなくてはとかねてから思い、ついに実行。


編みこみ中
今回はルワンダ北部のニャガタレのサルーンへ入って、ゴザに座り、お姉さんが小さい三つ編みを一つ一つ丁寧に作ってくれました。合計時間3時間半、結構長く頭痛い。










完成

そして完成。全くの別人になったよう。頭がごわごわするけどやってよかった。道行くルワンダ人やトゥンバの住人に褒められます。


ちなみにすぐほどけないように髪の中に毛糸を入れてます。本当はエクステンションもつけたかったけど、売り切れでした。


しかし、この髪型の欠点は髪を洗えないこと。6日ほどで痒さとフケがピークになり、限界に。全て解くことに。シャワーがとても気持ちよかったけど、抜け毛の量に愕然。俺の髪大丈夫か??

2011年1月30日日曜日

ケニア、ナイロビ

2010年12月16日、旅行の最終日は、同期隊員と別れて一人ナイロビへ。


5000円でタクシーを雇い、ナイロビを案内してもらった。まずはナイロビが一望できるビルへ。やはりキガリの比ではない。モノにあふれ、巨大なビルが建ち、所々に歴史を感じさせる建造物も残り、洗練されている。行き交う車も新しい。だがそのすぐ近くには人々の生活臭がただようダウンタウンや巨大なスラムも広がっている。



食事はなるべくローカルの食事がしたかったので、ウガリとヤマチュマを食べた。どちらもルワンダで食べられるが、かなり美味しい。ウガリもヤマチュマも全く臭みが無く、刻んだトマトとタマネギがヤマチュマのヤギ肉に良く合っていた。



その後ドライバーとともに街中をいろいろ案内してもらった。やはり治安が悪いので行けるところは限られ、少しはがゆい気持ちもあった。



 世界最悪の治安とも言われるこの都市だが、けっして怖いもの見たさだけでここにきたつもりは無い。ルワ ンダに入ってくる輸入品の多くはケニアから来ており、ルワンダ人の生活とは気っても切り離せない。さらに周辺国を圧倒する経済力、植民地支配の歴史と独立、その後悪化した治安と巨大なスラムが混在するこのカオスのような都市が僕の心を惹きつけていた。だから僕はどうしてもナイロビへ行きたかった。

わずか半日の滞在だったが充実していた。目をみひらき、全身の毛穴を開くようにしてナイロビの街を見ることができた。

2011年1月29日土曜日

ケニア、モンバサ

2010年12月12日から16日までの5日間、ケニアのモンバサとナイロビへ旅行に行ってきた。

モンバサの象徴アーチ
今回の旅行は同期隊員4人と一緒に。
キガリ空港からモンバサ・モイ国際空港まで飛行機でおよそ2時間。飛行機のタラップを降りたその瞬間から襲ってくる強烈な湿気と熱気は、ここがルワンダではないことを気づかせる。空気が違うのだ。






インド洋に面した港湾都市のモンバサは東アフリカ最大の貿易港であり、ウガンダやタンザニアへの鉄道の起点でもある。その昔、アラブ人が開いたこの街は20世紀に至るまで多くの国の支配を受け入れてきた。独立した現在も、街中にはアラブ系、インド系の住民が多くその歴史を感じさせる。





夕暮れの中、タクシーで向かったモンバサ市内はまるで東南アジアかインドの都市のよう。排ガスと行きかう人々の汗の入り混じった空気が、なんだか懐かしい。一泊2000円ほどの今夜の宿は、白い壁と高い天井の開放的なイスラム様式のつくり。ピカピカのホテルではない、この渋さがモンバサとアラブ人世界との繋がりを感じさせる。

宿の門番はマサイ族

島と本土を結ぶ連絡船から降りてくる人々



小島として浮かぶモンバサ島は本土と橋か連絡船で結ばれている。翌日はその連絡船に乗りこみビーチへ。





そこで生まれて始めてのダイビング。夕飯は市場で魚や蛸、ロブスターを買いこみ、自分たちで料理。ただただ何もせずぼんやりすごす、とても贅沢な時間だった。

2011年1月28日金曜日

営業

2010年12月2日、繊維製品を作っている工場へ、ET学科の教員とともにPLCの売込みへ行った。
Utexrwa工場
PLCは産業用機械の制御装置。この工場ならば自動でタンクの水量を測ったり、最適の温度をキープして布の染付けをすることへ使える。マンパワーだとどうしてもバラつきがでてしまうので、品質を向上させるためにも必要なのだ。
採用されれば、システム構築やメンテナンスによって教員の副収入になるとあって、みんな鼻息荒いデス。



お邪魔したのはUtexrwaという繊維工場。かなり大きい工場で、ルワンダ一の規模とか。まずは工場見学。インド人のテクニシャンが案内してくれた。整然と並んだ機械に少し圧倒。ルワンダにこれほどの機械があるとは。でも労働環境としては昭和30年代のような雰囲気。
絹用のお蚕さん


この工場では絹の研究もしていた。まだ絹織物を作る技術がないようだ。研究員は日本の絹は品質が高くすごい、と言っていた。僕にとっては、意外。外国へ来て日本のすごさを知った。


工場担当者へ改善案を説明中
工場見学後、さっそくセールス。今回はルワンダ人レイモンド君が営業担当。工場の担当者がたくさん集まりました。普段学生に教えているような偉そうな態度で説明していたので、営業には向いていなさそうだったが、インド人テクニシャンはとても気に入っていた。彼はここの主任でとても賢そうな人。今回提案したタンク水量と温度キープに対しては同じ問題の意識を持っていたようだ。なんとか採用してくれるとよいのだが。


やはり副収入ができることは大きいと思う。TCTの問題のひとつは、民間企業と比べて給料が安いため教員がすぐやめてしまうこと。教員の定着率が悪いと、どうしても授業の質が落ちてしまうのだ。ルワンダに限った問題では無くアフリカ一般に言える問題だ。副収入が入るとわかれば、良い就職先が見つかるまでの腰掛に過ぎなかった教員という職業が人気職になり、集まる教員の質の向上にも繋がると思う。なんとか、TCTがそのモデルを示せればよいのだが。

2011年1月26日水曜日

ワークショップ in キガリ工科大学

2010年11月30日、キガリ工科大学(KIST)にてワークショップをおこなった。


トゥンバ高等技術専門学校(TCT)の電子通信(ET)学科の教員が、KISTの教員や他のルワンダの大学や短大の教員に技術移転をするというもの。


内容はマイクロコントローラの使い方について。マイクロコントローラはひとつのチップにパソコンの機能の一部を凝縮したもので、電子機器を制御するのに使われる。今後、ルワンダで産業界が盛り上がれば、必須の技術だ。


受講者は皆真剣だったが、結構レベルが低い。KISTの教員なのに、パソコンのマウス操作が満足にできない人も。聞けば、KISTには10人に一台のパソコンしかないという。KISTといえば、ルワンダで一番の工科大学のはず。KIST出身のTCT教員によれば授業はほぼ理論で、実習は無いそうな。建物ばかり立派で、肝心のパソコンや測定器、電子部品は手に入らない。


僕は3コースあるうちの1コースを担当。この日の準備やらでほぼ休みなく活動していたため、ヒゲぼうぼう。いかにも怪しいマジシャン(笑)。
今回は教員相手だから気を引き締めてしっかり講義の準備をした。しかしいつもTCTの学生に教えているように、始めが真剣で段々みんな飽きてくる感じ。自分の思い通りの講義ができず、他のTCT教員にもあまり示しがつかず、自分の中ではかなりショックが大きかった。その後もずっとショックをひきずっていた。


ワークショップの終わりあたりに、たまらず他のTCT教員に僕の講義どうだった?と聞いたら、おまえの講義サイコーだったよ!と。きっとお世辞だろうけど、僕はこのセリフにどれだけ救われたことか。前学期はいつもケンカばかりしていた相手だったのに、このときは涙が出そうなくらいうれしく、心から彼に感謝した。

2011年1月25日火曜日

KOICA

KOICAをご存知だろうか?実はこれ、JICAの韓国版。コイカ。

ここルワンダではKOICAボランティアが結構多く働いているのです。隊員の中には、同じ職場にKOICAのボランティアがいるところも。活動内容も似たり寄ったりで、JICAのライバル。

赤のユニフォームがKOICA
でもJICAとKOICAはルワンダでは仲がよく、サッカー日韓戦を行ったり、KOICAボランティアの家へ行ってキムチをご馳走になったり。この日もサッカーをやった後に飲み会となりました。会話は英語だけど、彼らはとてもユニークでフレンドリー。言葉の壁を感じさせず親近感があります。やはり同じモンゴロイドだからかな。

ルワンダにはKOICA以外にも、アメリカのPeaceCorpやイギリスのVSOなどがいるのです。どちらも協力隊と同じことをやっていて、こちらもJICAのライバル。こちらとも仲良くなりたいけど、彼らはどこにいるのだろう?なかなか会えません。

小さな出会い

キガリからトゥンバへの帰り道。
先日の企業説明会の帰り、インドネシア人専門家と一緒に四駆に乗った。だが雨が降りしきるとトゥンバへの道はドロドロに。
 僕らは何とかなるだろうと思っていたがついに車が進まなくなり、あげく崖へ向かって滑り出したのだ。あわてて車の外へ逃げ出したとき、タイヤは崖まであと5cm。あぶなかった。


しかたが無いので歩いて帰ることに。途中で子供たちに出会った。子供は別に珍しくないが、彼らはとても粗末な服。山の中腹の生活は頂上よりも恵まれていないのかも。でもお金は要求してこない。撮った写真を見せてあげただけで喜んでいた。車から降りたおかげで、とても素朴でかわいらしい子供たちに出会えた。

企業向け説明会

2010年10月28日、ホテルミルコリンにて電子通信(ET)学科の学校・企業向け説明会があった。まだ知名度の低いこの学科を世間に知ってもらい、生徒の就職率を上げようというもの。

集まったのはルワンダラジオ局、携帯電話販売のA-Link、布作りのUtexrwa、キガリ工科大学などなど、ルワンダの有名どころ。生徒がVoIPの実演などをやると、企業の人たちも意外(!)と詳しく鋭い質問が飛んできたので彼らも結構苦労していた。

この様子、ルワンダTVで放映されたらしく、翌日トゥンバの居酒屋の主人が男前だったぜー、と教えてくれました。

しかし残念なことに、集まった人の中には悪人がいるようで、A-Link社長の中国人のおじさんが、隣にいた男にパソコンを盗まれていた。意外とルワンダも物騒だ。指名手配用に男の顔写真をプリントアウトしてみると、いかにも悪人面(笑)。本当に犯人かわからないので写真が載せられないのが残念。

2011年1月24日月曜日

協力隊員のあつまり

現在ルワンダにいる青年海外協力隊員は37人。少なく思う人もいるし、多く思う人もいると思う。僕が赴任した時は20数人だったので、かなり増えたなという感じ。四国が一回り大きくなった程度の広さのルワンダ。同じ人数で数十倍の広さの国もあるのです。

とはいえ、隊員たちは首都や地方に散らばり普段はなかなか会うことが無いのです。

職員のアパート。でかい!
月に一回くらいは歓迎会や送別会、サッカー大会などのイベントでみんなが集ってお互いの近況報告をして、明日からの活動の活力にする・・、とはならず大抵が飲んだり食べたりで憂さを晴らすのが目的です。隊員一人一人、精神的に辛い活動を送っていますから。。


この日は、JICA職員のアパートに集まり、タンザニアのダルエスサラームで買ってきたマグロ(!)を食すの会が催されたのでした。

マグロをさばく、シニアボランティアの熊さん。
内陸国のルワンダ、当然海の魚は皆無。普段、隊員はアボガドに醤油とわさびをつけることにより再現されたマグロの味により、海に囲まれた母国に想いを馳せるのです。だから本物のマグロが出たときには全員が狂喜乱舞。さっそく刺身やら巻き寿司にして食べました。

日本の食べ物が味わえるということの幸せ。。一年経つとしみじみと感じます。

ロボットカー・プログラミングコン テスト

 床に座ったり中腰の姿勢のまま、レースの行方を見守っている数十人の学生たち。どちらかのチームのロボットが勝つたび立ち上がり、ガッツポーズや会場中に響く歓声が腹に伝わってくる。

2010年10月、トゥンバ高等技術専門学校(TCT)で、ロボットカー・プログラミングコンテストが開かれた。TCTの情報通信(IT)学科と電子通信(ET)学科から成績上位の学生を集め、教員とともにロボットのプログラミングを作り上げた。このロボット、ライントレースカーと呼ばれ黒いラインを認識し、その上に沿って走るもの。学生たちはその制御プログラムを書き換え、レースでもっとも早く動くようにする。プログラムはスピードだけでなく、カーブでコースアウトしないようにする数値やコースの行き止まりから抜け出す仕組みなどを考えないといけない。授業の終わった放課後、限られた日数の中で、真剣に互いに競い合いながら作っていた。この試みは、普段の授業や実験では得られない、ロボットやプログラミングそのものへの興味を学生に持ってもらおうと、専門家が行ったものだ。学生の中には教員や我々より早くプログラムを書き換え、圧倒的なスピードのライントレースカーを作り上げたチームもある。

当日の会場はTCTの学生食堂。結構広いが人が集まるのか心配だった。数人のギャラリーでポツンとやることになったら・・。そこで自分が顧問を務めている学生サークルに人集めを頼んだ。不安だったが、彼らは期待以上に動いてくれ、司会進行やレースの合間に歌やダンス、さらには空手の実演まで。

もっとも盛り上がりを見せた終盤戦、会場は学生たちで大いににぎわっていた。勝ち上がってきたチームは、自分の作ったプログラムで走るロボットを真剣なまなざしで見詰める。レース中は静まり返り、一畳ほどのコースをキュルキュルと音を立てながら走るロボットの音が響く。差をつけて勝負が決まったかに見えて、最後のコーナーでコースアウトしてしまうチーム。接戦でほぼ同着ゴールの判定に真剣に文句をつけるチーム。すべてのチームとギャラリーが熱く沸騰していた。その気持ち、思い。いつか世界へ飛びたつ学生がここから出る予感がする。

お詫びと新年のあいさつ

すっかり、ブログの更新が滞ってしまいました。心配されていた方もいらっしゃると思いますが、私は元気です。
10月から12月中旬にかけてインドネシア専門家が来ている間、土日の休みも無い活動だったため、ついついブログから遠のいていました。更新を楽しみにしてくださっていた方々にはご心配をおかけしました。過去に遡ってブログの更新をしていく予定です。
先々週から1年生が入学し、授業もスタートしました。残り任期一年となりましたが、悔いの残らないようにがんばっていきます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

青年海外協力隊 渡和久 電子工学