2010年10月13日水曜日

いい感じな一家

土曜日にトゥンバを散歩していたら、道の下から、うちに寄っていけという声があったので、ちょっと寄り道を。どーもどーもとお邪魔した先は、ムサビマナさん一家。なにやら今日はお祝いの日らしく、これからご馳走を作るそうで、子供たちも少しうれしそう。軒先に腰掛けて、ちょっとしたあいさつと雑談。しかし子供が一杯で大変でしょと言うと、いやいや子供は神様の子さ、となかなか素敵な返事が。早々に辞去して、帰り際に写真を一枚。いい雰囲気の一家に出会えました。

夕焼け

夕焼けも見れたので、もう一枚。

家の近くで、牛が草を食べていたので、写真を一枚。

2010年9月24日金曜日

電話の授業

昨日は電話技術の授業をやりました。テーマはVoIP(Voice over Internet Protocol)。ようはスカイプみたいなパソコン間電話を作ってみよう、というものです。

アナログ電話の授業は一通り終わったので、一気にジャンプしてVoIPの世界へ。ここルワンダではアナログ電話の普及はイマイチ。IT推進政策のもと光ファイバ網の整備が進められているルワンダでは、むしろインターネット回線を使うVoIPのほうが重要なのです。
 
パソコンを机に並べLinuxを立ち上げたけど、マイクが無いことに気づいて慌てて首都まで行って自腹で買ったり、せっかく作った制御プログラムが停電でパーになったりと、毎度毎度のことながら準備でひいひい言っていますが、なんとか形に。


生徒もパソコンで電話ができることには興味津々。頑張って制御プログラムを完成させ、マイクで話し合っている姿をみると、うん充実。まあ上手く動かないことも多いので、教えているこちら側はずっとハラハラ、イライラです。

青空市場とウムゴレ

トゥンバの麓にある比較的大きな集落バーセで、青空市場(イソコ)が開かれていた。

山の上よりも野菜がたくさん置いてあるのでとても助かる。ピーマン、えんどう豆、にんじん、パイナップルを袋一杯に買って600Frw(100円)。

おばちゃん(ウムゴレ)たちの姿はとてもたくましく、なにより生きる力に溢れている。赤ん坊におっぱいをあげながら野菜を売っていたお母ちゃんは元気一杯僕に野菜を売りつけてくる。しかもなかなか値引きしてくれず、結局僕が根負け。

カラフルな衣装のウムゴレとカラフルな野菜たち。美味しい夕飯が作れそうな気がします。

2010年9月13日月曜日

新学期スタート

8月からスタートしたトゥンバ高等技術専門学校(TCT)の新学期。

今回は前学期のように失敗しないぞと心に誓いつつ頑張っています。

まず、ET学科の同僚にどんどん手伝ってもらうようにしました。

前学期は彼のでしゃばり(僕の説明をさえぎって、彼がいきなり説明を始める等)に嫌気が指し、手伝わせなくしたのですが、結果彼との関係が悪化してしまうことに。。

今回は彼の役割を明確にして実験を手伝わせるようにしたら、あら不思議。彼はあまりでしゃばらくなり、しかも毎日こちらに挨拶するように。そして授業も楽になり一石二鳥。


ちなみに今学期の授業は電話技術とデジタル回路です。しかし電話技術のこと、よく知りませんでした。。教科書を読んだり、ネットで調べていくうちになんとかなるものですね。今ではさも昔から知ってるよ、と言わんばかりに偉そうに教えています(笑)。

再来週は中間試験。みんなちゃんと分かってくれたかな?

小雨季

9月に入ってまた雨季が始まりました。

乾季には一滴の雨も降らなかったのに、連日の大雨。

毎年のことなので、ルワンダ人は誰も驚かないが、
僕は、日本の四季以上に極端に変わるアフリカの自然のリズムに驚かされた。

先日は雹が降り、昨日はトゥンバが霧で覆われ、
すっかり気温が下がって、昼間でも20度を切るほど。

それにしても幻想的な霧の風景は、トゥンバに良く似合うなあ。

2010年8月17日火曜日

ルワンダ大統領選挙

8月9日に行われた大統領選挙。



どうやら93%という得票率で現職のポール・カガメ大統領の
圧勝のようです。ライバルがいなかったというのが理由のようですがまあ、予想どうりの結果です。


欧米のメディアを中心にいろいろと批判が出ているようですが、
僕は事の真相を取材もしていないので、この結果に対して何も言う権利はありません。BBCなどにいろいろ出ていると思います。



ただ、選挙前のキャンペーンの様子を伝えるとすれば、
現職のカガメ大統領一色でした。


街中はカガメ大統領の顔写真、宣伝カーであふれ、
村々のあちこちで彼を応援する集会が開かれていました。
携帯電話にも大統領を応援しようという内容のメールが送られてきました。当然トゥンバにも広がっており、教員宿舎の前の家でも
太鼓と踊りでカガメ大統領を応援していました。


現職のカガメ大統領ばかり不公平じゃないかという意見もあるかもしれないけど、僕が見る限り、みんなそこそこ今の大統領に満足しているし、彼のことが好きな人が多い。もちろん黙っている人もいるけど。


外国からみればとんでもない選挙に見えるけど、住んでいる人の視点から立って考えれば必ずしもひどい選挙だとは思えない。ネットやテレビの情報だけで、物事を決め付けるのは簡単だけど、非常に浅はかだなと思える。


とりあえずは、現職大統領が引き継ぐというので大きな混乱も無く2期目のスタートが切れることでしょう。ルワンダの平和と安定が維持できるように祈っています。

2010年8月16日月曜日

おフランス旅行

今日はちょっとした自慢も含めて・・
先週まで2週間、妻とフランス旅行をしてきました。


パリのシャルルドゴール空港で7ヶ月ぶりに妻と会えました。
涙涙の感動の再会と思われるかもしれないけど、意外にもお互いあっさり
「おー久しぶり~」。
これがまた渡夫妻の特徴でありとても心地いいのです。


夏のパリは想像以上に寒く、人とカフェがやたら多かった。

でも歩き疲れたとき、カフェがありがたい。僕の注文するものは

いつもコカ・コーラ。うん、良く冷えたコーラは世界共通、はずれ無し。


街中で借りた短期アパート。内装のセンスよさに僕と妻で大興奮。
やっぱりフランス人はおしゃれやな~と二人で溜め息。

気づいたのが、こまごましたものがルワンダと一緒なこと。
コンセントの形やトイレの形など。やっぱりフランスから影響受けてるのね。


圧巻はやはりルーブル美術館。でかい。東京国立博物館より断然でかい。
女性の美の原点、ミロのビーナスに見入ってしまった。

オルセー美術館ではゴッホの自画像に出会えたことが大きな収穫。
鬼気迫るような雰囲気と、その射抜くような目つき。


その後パリを離れ、モンサンミッシェルや妻お気に入りのディジョンなどを回り、
南仏コートダジュールはニースへ。

湖しかないルワンダから来た僕は、波があることにまたもや大興奮。
しかも住血吸虫の心配をしなくていいなんて!と。

そして、帰る直前に食べた、寿司と味噌ラーメンの味は
我が日本人の心を癒し溶かしてくれたのであった。

まさにリフレッシュ。これほど心から楽しい旅行もなかったなあと思えるくらい
大満足でした。さすがに妻との別れが少し悲しかったけど、またどっかで会いましょう。

以上、自慢でした。

2010年7月16日金曜日

ホテルルワンダ

映画、ホテルルワンダを知っている人は多いと思う。1994年の虐殺を描いた作品だ。

あのホテルはいまも同じ場所で営業中だ。名前もそのままの「ミルコリン」。フランス語で1000の丘という意味。

僕はここのプールサイドのカフェでよくコーヒーを飲みながら、パソコンを開いたり本を読む。トゥンバの山奥の生活から解放され、都会的生活への渇きがここで癒されるのだ。とてもスタイリッシュで、他のルワンダのホテルとは比べられくらい良いところだ。

映画にあった1994年当時の面影は全くない。このプールが虐殺から逃げてきた人たちの飲み水になっていたとは想像できない。

ルワンダ、いまは平和国家だ。経済も順調に発展しつつあり、紛争ともほぼ無縁。ギャップに少し戸惑うが、この平和はいつまでも続いてほしい。

ルワンダ携帯電話事情

ルワンダ国民はかなりの割合で携帯電話を持っている。学校の同僚は全員持っており、ハウスボーイでさえも持っているし、掃除のおばちゃんも持ってい る。みんなケータイ大好きなのだ。

現在ルワンダ国内では3社の携帯電話会社がサービスを提供している。
3 社ともエリア範囲のカバー率はしっかりしており、山奥のトゥンバでも3社とも問題なく使える。 通話方式は全社とも日本より一歩遅れた第2世代のGSMだが、全く問題ない。


ルワンダの携帯 電話のシステムは、今日本で話題のSIMフリーなのだ。携帯電話機が一台あれば、
バッテリパックの裏にあるSIMカードを交換して、簡単に 別会社の携帯電話にできる。

SIMカード自体の値段は500Frw(≒80円)。通話料金はプリペイド式で、SIM カードにお金をチャージして通話する。


写真の左が南アフリカ系のMTN。先日のワールドカップでも沢山広 告が出ていた、黄色い看板のあの会社だ。真ん中がRwandaTelで、右がTIGO。携帯電話機はNOKIA製。

大 雑把に言うと、MTNがドコモで、RwandaTelがau、TIGOがソフトバンクといった所。

TIGOは東アフ リカと南米を中心に展開している会社で、最近は派手な宣伝と低価格を売りに一気にユーザーを広げている。首都のキガリを歩いていると子供がTIGOマーク のかばんを背負っている。宣伝用のばら撒き作戦は功を奏しているようだ。

国内通話料金はMTNで1分 20~30Frw(3~5円)、TIGOで1分10Frwだ(1.5円)。
日本への通話も安い。1分で165Frw(26円)。日本から ルワンダだと1分で300円ぐらいだったと思う。


しかし、いくら携帯電話料金が安いといっても、一日500Frwで生計を立ててるルワンダ人にとってはやはり高い。メール(SMS)もルワンダ人はあまり好きじゃないようだ。

だから彼らはよく、ワン切りをしてくる。相手からのワン切りが「元気?」の意味らしい。初めは迷惑電話ばっかりだなあ~と腹が立っていたけど、意味を知って納得。だから僕もワン切りが着たら、「元気だよ」の意味でワン切りをする。すると、大抵もう一度ワン切りが返ってくる。「そりゃあよかった」の意味、かな?

ちなみにアフリカ諸国では、固定電話はあまり普及せず、携帯電話のほうが広まった。つい最近まで電話なんぞ見たことも無い人たちが、いきなり携帯電話を持ち始めたのだ。

これは携帯電話のインフラ整備が楽だからだ。固定電話は端末のある場所全てに有線ケーブルを敷設しなければならないが、携帯電話は基地局をところどころに置けばいいだけなので、アフリカのような未開発な土地の多いところにはうってつけなのだ。


僕は日本で携帯電話が流行りだしたとき、固定電話があるのに面倒くさいものが出たなあと思いつつ、結局は流行に押される形で購入したが、携帯電話そのものの必要性には常に疑問を感じていた(今でも感じている)。


だがルワンダを初め、アフリカ諸国の文化や社会は携帯電話によって日本以上に大きく変わっていくだろう。これが良い方向へいくのか、悪い方向へいくのか分からない。しかし、アフリカ人にとっては、携帯電話の登場が一大革命だったのだ。

ワールドカップ 南アフリカ大会

日本でも盛り上がったと思うけど、初のアフリカ開催ということで、ここルワンダでも大盛り上がり。もともとサッカーはみんな大好きなのだ。

教員宿舎には、校長の大盤振る舞いで、衛星テレビまできたのだ!みんなテレビに釘付け。

さっそく僕も日本対カメルーン戦をみたが、日本が勝利。やったーと浮かれるとみんなも一緒に喜んでくれる。だが、喜ばない人も。同じアフリカ国が負ければいい気はしないのだ。難しい。

協力隊員同士で首都キガリのバーに集まり、デンマーク戦を観戦したときの
熱狂は、周りの一般のルワンダ人が驚くほど。彼らも巻き込んで、大盛り上がり。

そして、パラグアイ戦。トゥンバの食堂で見てると、生徒たちも一緒になって応援してくれた。

結果は残念だったが、とてもすばらしい試合をしてくれた。

ワールドカップが始まる前ほとんど興味がなかったのだが、日本チームの予想外の素晴らしさに期間中はすっかり虜に。


ありがとう、ニッポン。

2010年7月11日日曜日

活動先訪問その1

やっと学校が暇になったので、JICAボランティアの同期の活動先を訪ねることにした。

村落開発普及員の同期は、パンの協同組合を作ることを模索中だ。同じ地域に住むルワンダ人の有志でパンがまを作り、パンを焼き、販売をするのだ。

やはり一番の問題はお金だ。残念ながら、お金の工面がつかず未だにパンがまを作ることも出来ない状態だ。

お金が絡む問題は仲間割れも引き起こす。パンがまを作る場所をリーダーの家に置くことにしたら、それに反対する人たちが出たそうだ。メンバーとはいえお互い不信感があり、結局そのメンバーは一新することになってしまったそうだ。


同期の役割は、お金を出すことではなく、アドバイスをすることに徹している。ルワンダ人自身で解決すること、つまり自立を促すためだ。


だがルワンダを含むアフリカ諸国の人々は、お金をJICAを含む援助団体からタダでもらおうする。いわゆる援助慣れだ。お金は出せないといくら言っても食い下がってくるそうだ。


今後はマイクロクレジット(※)を薦めていくそうだが、本人たちは渋っているそうだ。やはり返さなくてはならないお金だからだ。


だがタダのお金は、真剣になれないと思う。不必要なものに投資してしまいやすい。これまでの欧米や日本による無償資金提供が、逆にアフリカの発展を阻害してきたという話を聞いたことがある。


やはり真剣に自立を促すなら、なるべく本人たちの力でなんとかしてほしい。同期の奮闘に期待したい。


※・・・貧困者向けの低額融資のこと。担保はとらず、数人のグループをつくらせ、共同監視のもと返済していく。ノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌスの提唱したグラミン銀行が有名。

ハウスボーイ

13人家族(ルワンダ人12人+日本人1人)の我が家には、ハウスボーイが一人居る。皆でお金を出し合って雇っているのだ。彼の名前はデオ。仕事は料理と洗濯と雑用。



毎日毎日せっせと働いている彼を見るとつい感心してしまう。朝から炭で火をおこし料理の支度をはじめ、その合間に洗濯をする。夜の10時ごろまで働きづめだ。そして給料は20000Frw(約3300円)。



ふだんはぶっきらぼうで気楽に話しかけるのはきがひけるが、カメラを向けると恥ずかしがって隠れてしまうなかなかシャイな一面も。


つい2週間前から彼の姿が見えない。どうやら病気の兄弟がいるらしく普段から週末はキガリへ行っていたそうだ。その兄弟の病状が悪化したらしく、もうこれないそうだ。そうだったのか。


そして先週から新しいハウスボーイが来た。今度は気の弱そうな従順な感じ。名前はデオス。なんだか似てるなあ。

モスク礼拝

インドネシア人先生のゼンさんとキガリへ行く用事ができた。目的はモスクへ行くこと。インドネシアはイスラム教徒が多く、ゼンさんもムスリムなのだ。この日は金曜。金曜礼拝の日だ。


モスクへは異教徒の僕も簡単に入れてもらえた。入り口で靴と靴下をぬぎ、手足と口の中を水で洗い清めた後、礼拝堂へ。

喧騒のキガリ中心部にあるとは思えないほど静かで大きな伽藍に、一人の老人が柱によりかかりコーランを読んでいた。他には誰もいない。残念ながら到着が少し遅れたため、金曜礼拝は終わっていたのだ。


ゼンさんは一人、祭壇のまえで祈り始めた。普段はにこやかな彼も、祈るときの姿は全く別人だ。僕は後ろのほうで正座をしながら、その姿をただじっと見ていた。


規則正しく厳かなその祈り方は、確固とした依るべきものをもったムスリムのプライドが感じられた。祈りが終わり、ゼンさんが別のムスリムと会話をしているのを見ると、なんだか遠くの人のように感じられた。そして同時に羨ましくもなった。


羨ましいのは彼に仲間が出来たことではなく、深い宗教性に裏打ちされたゼンさんの存在だ。


僕ら日本人はなんだかふわふわした存在で宗教からは一歩置いているが、彼は生活に宗教がしみこんでいる。


ルワンダを含む世界の国々ではキリスト教やイスラム教を信仰し、それを自分のアイデンティティにしている。それをみていると、自分はこれでいいのかと不安になってくる。


僕は今の日本の束縛されない宗教観は好きだ。だから決して何かの宗教に入りたいわけではない。だがこの状態の欠点は、自分の中にいざという時の心のよりどころが無いことだと思う。


世界は、一人で生きていくには過酷で、吹きすさぶ嵐のようなものだと思う。その前で依るべきものをもたない人間は、簡単に自我が押しつぶされてしまうのでないだろうか。

南南協力


6月は、通信技術の専門家がトゥンバ高等技術学校(TCT)に来ていた。目的はルワンダ人先生への技術移転。ついでに僕も参加したが、通信分野は素人の僕でもとても分かりやすい講義だった。


1ヶ月間の集中講義は、PCネットワーク、Linuxサーバを使った電話交換システムの構築、光ファイバ通信などなど。理論だけではなく、実習を取り入れた授業だったので、やはり理解がとても深まる。


このインドネシア人講師のゼンさんは、かつて日本が支援したスラバヤ工科大学(EEPIS)の講師。かつてのEEPISも現在のTCTと同じ状況で、理論中心の授業だった。日本からの専門家の指導で建て直しによって、いまではインドネシアでも一番の人気工科大学になったそうだ。


実はTCTにはネパールやインドからも専門家を招いている。同時に、ルワンダ人先生をそれらの国々へ研修生として派遣しているのだ。今もET学科からは5人がインドネシアへ研修にいっている。


先進国が途上国を支援するいわゆる南北協力ではなく、途上国同士で支援する南南協力だ。JICAはその支援をし、TCTはその先駆けとなっているのだ。


多国籍のTCT。なんだかわくわくするような学校にきています。

2010年5月23日日曜日

アフリカとダニ

なんで、僕ばっかり・・
と思ってしまう今日この頃。それはダニ。
1日に5箇所は刺されます。


でも、アフリカ人は刺されない。
刺されるのは、肌の色の薄い我々のみ。


そもそもルワンダ人はみんなダニの存在を知らないのです。。
だから、ベッドはダニが沸き放題。
バスのシートや、職員室の椅子でも刺されます。


そこで日本やルワンダで、いろいろとダニグッズを集めて見ました。
なかなか効果があったのは、写真右端のスプレー缶。


これは、畳用ダニアースのフタと、ルワンダで売っている
殺虫剤バイゴン(※)を合体させたもの。


これをマットレスに刺して、バイゴンを大量注入。
最近は徐々に刺されなくなっています。


でも油断大敵。じっくり観察していきます。
痒い~。


(※)バイゴンは日本以外どこでも売られている殺虫剤。かなり強力だが、くさいのが難点。

2010年5月22日土曜日

言葉の壁と、洗礼。

下の投稿だけだと、ああ上手くやってるね、と思われそうだが、
実際は生徒とのやりとりが相当苦しかった。


最大の壁は、やはり言葉。
お互いが英語の授業初心者なので、
自分に問題があるのか、生徒に問題があるのかが分からない。


ルワンダ人の一般的性格として(日本人生徒も同じだが)、
意味が分からなくても分かりましたー、と言ってしまうのも混乱する原因だった。


生徒に何度言っても伝わらないときは、
焦りとイライラから、笑いも無く張り詰めた雰囲気の授業をしてしまう。


だんだん冷えていったクラスがあった。
そのクラスでは、最後の補修授業に誰も来なかった。
技官と2人で準備した測定器は、結局誰も触らなかった。



あきらめて教室を出るとき、辛かった。


教室の外の明るさと、他の生徒の笑いが、
これまでやってきたことは全て無駄だったと、
僕の心の内にさらけ出させようとしてる感じだった。


赴任して4ヶ月目。たぶん最初の洗礼だったと思う。

前期終了


前期の授業が終わった。
およそ2ヵ月半、実験の授業をやってきた。

上手く進められたとは全く思えないが、
少しほっとした。
授業の最後の打ち上げみたいな気持ちで
生徒と写真を撮りました。

生徒は今、試験の真っ最中。
がんばれ。

2010年5月10日月曜日

こんなところに、今、僕はいます。

先日、専門家の方から携帯GPSをもらったので、
さっそく職場の位置を測定してみた。

地図上で、この学校の位置を把握したのは、
いままで誰もいなかったそうだ。

日本じゃ考えられない。。

トゥンバ高等技術学校位置
誤差は5メートル以内だそうだ。


こんなところに、今、僕はいます。

山の空



トゥンバは2000mの山の上にある。
山の生活ほど空の動きを実感できるところは無い。


標高が高いので、目線より少し高いところ、手に届きそうなところに雲が広がる。特に5月の雨季は雲が厚く、低い。


バナナの葉がカサカサ揺れだすと、雨がくる証拠だ。ハウスボーイたちは大急ぎで洗濯物をとりこみ、道行く人たちは急ぎ足で家に帰る。


5分もしないうちに、赤茶けた道が黒く湿りだし、大粒の雨に覆われる。


向かいの山で雲の切れ間、太陽が顔をだす瞬間は、心が弾む。山の木々が萌黄色に輝きだすのだ。


眼下の谷間に滑り落ちてきたその光が、こちらに近づいてくれば、太陽が頭上に来る。


ハウスボーイたちは大急ぎで洗濯物を干す。家に隠れていた子供たちもはしゃぎだす。

2010年4月13日火曜日

歓迎会


先月、新任の先生を歓迎するパーティーが開かれた。
会議室に椅子を並べ、ビール、串焼き肉、ゆでじゃがいも、ゆで卵が振舞われた。
そして、陽気な音楽が流れる。僕が渡した沖縄民謡も。


自己紹介のとき前に立ち、ルワンダ語であいさつすると、やはりうけがよい。
ほろ酔いに任せて、ボランティアに参加した動機を長々と話した。
皆真剣に聞いてくれ、握手までしてくれた。



夜も更け、興が乗ってくると、みんな踊りだす。
校長も、教員も、ドライバーもなんだかよく分からない適当なダンスをする。アフリカはこうでなくっちゃと言わんばかりにみんな踊りだす。僕もみんなにつられて踊りだす。
明日からイースター休日だ。朝まで踊り明かそう!

2010年4月10日土曜日

日本祭り Japan Festival



ルワンダ南東部キブンゴ、日本祭りを開いた。
キブンゴに住む協力隊がメインとなって地域の人たちを呼び、日本の文化を紹介するイベントだ。


アフリカ人特有の時間のルーズさで初めはなかなか人が集まらなかったが、最終的には大盛況に。
キブンゴ以外の協力隊員も参加して日本の歌を合唱したり、日本文化の映像を流したり。


空手の実演にはみんな大興奮。ルワンダ人は日本人以上に空手が大好きなのだ。ちなみに空手実演者は所長。協力隊は誰も空手できない。。


キブンゴの技術学校の生徒はルワンダの伝統的踊りを見せてくれ、小学生たちはルワンダ語の歌を一生懸命に合唱してくれた。地域のラジオ局は中継までしてくれた。


イベント中に湧き上がる歓声に僕は背中がゾクゾクした。わずか5人の協力隊が、これほどの人を集め、盛り上がらせる。しかも異国ルワンダで。これは本当にすごいことだ。

小学校 Primary school


家から学校まで行く途中に、小学校がある。


毎朝、毎朝、僕が歩くと子供たちがワラワラと沸いてきて
ムズング~(白い外人)!グッドモーニング!と声を掛けられる。


別の日に名前を教えたら、ワタル~!グッドモーニングに。
苗字で呼ばれるのは変な気分だけど、まあいいか。



よく言われるフレーズは
アマファランガ~(お金)、ギブミーマイノート。


よく子供たちはかわいいでしょと言われるけど
こういう状況に慣れていないので少し困惑する。
ただ僕の関心をひこうとしているのか、本気でお金やモノを
ねだっているのか分からなくなるのだ。


でもこの子達はこの全くの別人種に何かを
期待しているのは事実だ。
本当に興味しんしんで、本気で追いかけてきて、
なんの駆け引きも無し。


純粋な、という言葉が彼らに良く似合うなあ。

2010年3月16日火曜日

授業スタート Class start!

みなさまご無沙汰していました。
ついに協力隊としての活動が始まりました。
いまは週八時間、電子通信学科(ETdepartment)で
基礎実験を教えています。3/1より始まりました。


授業内容は、はじめに今日教える回路理論を教え、実際に電気回路を作り、測定器を使って測定し、翌週にレポートを出す、というスタイルです。


しかし、疲れます。授業が終わると毎回へとへとです。
授業内容のテキストを作り、実験準備をし、全て英語で話すというのは、予想してましたが予想外に大変です。キニャルワンダ語で授業じゃないので、まだましですけど。。


学生は、とても真面目です。
日本では学生にとって、学生実験ほど面倒くさいものはありませんが、ここの生徒はむしろ教えてくれと自分たちから言ってきます。



彼らも危機感をもっているのだと思います。測定器も触ったことがなければ、ただでさえ少ないルワンダの電気系会社は雇ってくれません。


彼らが立派に巣立ってくれるよう、今後も真剣に教えていきます。

道行く人


なんでもない、家の前の風景。

 頭に荷物を載せてあるいて







 
これから畑へ向かって、

子供たちはコーヒー豆の手入れ。

2010年2月27日土曜日

アボガド

学生食堂でアボガドが売っていたので、ためしに2つ買ってみた。150Frw(25円)。

今朝、朝食代わりに食べてみた。
よく熟れていいる。そしてほんのり甘い。こんな美味しいアボガド初めてだ。

授業見学

今週は授業見学をしてきた。

所属先は電子通信学科(ET学科)。同僚の先生たちはほとんどが20代、30代。
だから日本の大学と大きく違って、授業がエネルギッシュだ。
プロジェクタを使って教えている先生もいる。

でも、ここには大きな問題がある。
先生のほとんが、実習ができないこと。理論しか教えられないのだ。
測定器(オシロスコープ、テスター)や半田ごてすら上手く使えないという。

自分が来週から担当するのはその実習だ。今、その準備に追われている。

窓からの小景

部屋の窓を開ければ、山並みが。

牛の鳴き声、子供の笑い声が聞こえる。
ここに来て、やっと求めていた景色に出会えた気がする。

2010年2月20日土曜日

首都で爆発事件 Bombing incident in Kigali

昨夜8時頃、首都のキガリで3件の爆発事件があった。死者も数人出たらしい。JICAの緊急連絡網で知った。

先週までほぼ毎日歩いていたところだから、よけい怖い。

2/25にはサルコジ仏大統領の訪問や、8月のルワンダ大統領選挙などがある矢先の出来事だけに心配だ。

At Friday night, there are three bombing incident in Kigali, and some people killed. I got this information from JICA emergency contact.

I'd walk around these area until last week. It was terrible.

French president will visit Rwanda on 25th February and in this August Rwandan president election start. I'm worried whether these event will be good or not..

p.s. BBC news
http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/8525989.stm

任地到着!

ついに到着しました、任地!山奥です。



道もろくに舗装されていない、地肌むき出しの道をひた走り、山の頂上にある小さい集落のなかにそれはありました、トゥンバ高等技術専門学校(Tumba Technical College)。


下の写真が校長室や職員室が入る校舎。この後ろに授業をする校舎が続いてます。赤レンガづくりのとてもお洒落な学校。











これが僕の部屋が入っている宿舎。出来たばかりらしくとても綺麗。
右奥に自室。しかし、ここに13人も入っているのです。朝のシャワーは戦争間違いなし。