2011年4月1日金曜日

原発の心配をしてくれるのはいいけど・・

いつもへらへらしている同僚のルワンダ人が、突然真顔になり、
「日本は津波の影響で大変そうですね、お悔やみを申し上げます。あなたの家族は無事ですか?」
なんだか他人行儀で違和感があるけど、心配してくれてうれしい。


 アフリカでも津波の話題は広く知れ渡っていて、トゥンバの地元の人も心配してくれる。


実際、アフリカ地域のBBC放送でも震災から1週間は90%が日本の震災関係だった。
3週間が過ぎた今でも3割ぐらいは日本のニュースで、残りはリビアとコートジボワールの紛争(どちらもアフリカ)の話だ。


ただし最近はもっぱら原発のニュースが多い。もう"Fukushima"という言葉は誰もが知っている。
原発のないルワンダ人は日本は大変だねという。だが、原発のあるヨーロッパ人と話すとわれわれも気をつけなればと言う。同時に地震多発の日本になぜ原発なんか作ったんだ、とも言う。もっともの話で、言い返す言葉がない。


原発の見直し論議が世界中で上がっている。だが彼の発言を聞いて、この論調がいつまで続くか気になってきた。つまり地震や津波の多い日本が原発なんぞ作ったからこんな事故になったのであって、今回の事故は「例外」である、という話にもっていかれるのではないだろうか。


チェルノブイリの事故後も原発の怖さが広まったが、結局作業員の操作が悪かった「例外」であるという話でうやむやにして片付けられた気がする。そしてその後も世界中で原発が作られ、維持された。


東電の人たちは津波の高さが「想定外」だった、だから事故は起こってしまったという。なんだか「例外」である、ということを強調しているみたいだ。


原発に「例外」があっていいものだろうか?原発が作られ始めて5、60年近くたつ。スリーマイルを含めると、もう3回も例外を作ってしまったのか。


今作られている原発は最新の設計だから絶対安全だとも言う。だが信用できない。納期に追われた技術者は、設計上のつじつまが合わなくて無理やり設計の計算結果を変えてしまうかもしれない。1970年に作られた当時の福島第一原発も「絶対安全!」と言われていたはずだ。原発の数が増え続ければますます事故の確率は増す。


世界から原発を無くすか、20年に一回起こるであろう放射能事故に絶えながらエネルギーを使う生活を続けるか。僕たちは選択を迫られている。

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