2011年10月9日日曜日

一日一ドル以下の生活とは

トゥンバの道端に穴が掘ってあり、雨季になるとここに水が溜まるのです。ご覧のとおりとても汚い。

実際には歩いて3分のところに豊富に水がでる水道がきているのです。じゃあ、なぜこんなことをする必要があるのか。実はこの水道やはりタダではないのです。ポリタンク一杯40フラン(5円)。親はこのお金が払えない。

 
平均的な農民や荷担ぎの手取りは一日500フランぐらい。一ドルにも満たない。国連でいうところの最貧困層だ。


しかし、ルワンダでは多くのひとは飢えてない。写真の子供はピンピンしているし、学校にも通い、毎日サッカーをしている。親は畑で自分たちの食料を育て、中古だけど携帯電話もある。上の写真と一ドル以下の生活という言葉だけが独り歩きすると、ルワンダを見る目が偏ってしまう。


僕がルワンダに来て、気づかされたことがこれだ。自給をしている点は国連の統計には入っていない。だからトゥンバの生活はソマリアやコンゴと統計上一緒なのだ。


何を考慮にいれなければいけないのか。それは国、もしくは地域が平和かということだ。ソマリアやコンゴのように子供をさらう武装集団も、無差別のテロも無いこと。そして安定した気候。僕らにとって当たり前のことだし、今のルワンダでも当たり前のこと。安定した食料があること、安心して出歩けることだ。


だけど、ルワンダ人の生活は、安泰かというとそうではない。平和が無くなると、とたんに脆くなる。誰も守ってくれ無い。政府も機能しなくなってしまうかもしれない。トゥンバには警官もいない。貧困とはつねに死と隣りあわせであることであることも、やはり忘れてはならない。一日一ドル以下の生活とはそういうことだ。

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